徳富 蘇峰
徳富 蘇峰(とくとみ そほう)
1863年(文久3年) - 1957年(昭和32年)
明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。
『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。
徳富 蘇峰(とくとみ そほう)
1863年(文久3年) - 1957年(昭和32年)
明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。
『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。
徳富蘇峰先生の上野介観著『小栗上野介正傳』より
昭和8年5月10日午後であった。蘇峰翁夫婦は大宮警察署長の案内で小栗家の墓所に参拝に来られた。先生の近世日本国民史は、私も寸暇を倫んで愛読していたので、先生をかうした意味から医系していた。
蜷川先生から承れば、あまり上野介に対しては同情と史的正観を持っていないと云う御話をきいていたので、実はどうかと思ったが私は先生と会うのは初めてでもあり、突然なので、挨拶も碌々しなかったが、先生は終始にこにこしてをられた。自分は先生等を小栗家の墓に先導した。
上野介の墓には特に献香黙祷を捧げること暫時、不幸なる功臣の霊に真心をこめて礼拝された。私はだまって忠政の墓に導いた。先生は「あゝこれが又一の墓ですね、立派です。小栗の始祖忠政の墓、元和2年9月18日! うん」感心の体である。
「又一の名は家康から貰ったものです。槍の名人でね」
私は驚いた。今まで多くの人と接したが、忠政の墓をこの戒名と年号だけ見て直ちに忠政の「墳也と云はれる仁は他になかった。」
さすがに先生であると敬したわけである参拝記は、その日の東日夕刊の日日だよりに出ているから抜粋して見る。
(後略)
阿部道山著