境内のご案内
お墓参りの際は、まず六地蔵様にお参りをし、つづいて正面のご本尊様にお参りをしてからお墓へお参りをいたしましょう。
本堂 | 題字 |
---|---|
ご本尊様が安置されている建物。 三十三世の大猷慈済禅師と小栗上野介忠順が共に献身して二十数年の歳月を費やし建立した。 |
四十二世道山禅師による題字 |
本尊と旧本尊 | 本堂内 |
---|---|
手前が旧本尊の聖観音菩薩坐像。 現在は楠一本彫釈迦牟尼佛が本尊。 |
月江正文禅師木彫像 | 元禄名のある半鐘 |
---|---|
島田恭宏作、御開山月江正文禅師木彫像(本堂) |
庭園 | タラヨウ |
---|---|
タラヨウなど大宮市指定天然記念物のある日本庭園。 | 庭園内のタラヨウ。さいたま市指定天然記念物。 |
キャラ | 旧本堂屋根瓦 |
---|---|
本堂前庭のさいたま市指定天然記念物。 |
山門 | 鐘楼 |
---|---|
武蔵風土記に「大成の夕暮れの梵鐘」とあったように土地の農家の人々の生活には欠かせないものであった。現在は鉄筋造で昭和43年高岡市老子の鋳造で重さ500貫の重厚なもの。 |
白山妙理大権現 | お稲荷様 |
---|---|
夢違い観音像 | 六地蔵 |
---|---|
現世に生きる人々を悪夢から救い、二度と恐ろしい目に遭わせないよう見守ってくださる夢違い観音様。悪夢を見たときはすぐに参詣ください。菊地文子氏作。 |
このお地蔵様は釈尊の滅後、弥勒菩薩が成通するまでの無佛時代に現れて、天上より地獄に至る六通の一切の衆生の人々を救うと云われる大悲の菩薩様です。 |
小栗家の墓 | 小栗上野介の首塚 |
---|---|
小栗上野介の首塚を含めた小栗家代々の墓。 | 慶応四年(1868年)烏川の水沼川原にて斬刑された小栗上野介忠順の首塚。 |
月江正文累代住職墓 | 開基金子駿河守大成墓 |
---|---|
月江正文和尚墓を中心にした歴代住職の墓。 | 普門院を創始した金子大成の墓。室町時代の武士。鎌倉時代初期に源氏三代に仕えた武蔵七党のうち村山党の金子家忠の末裔。 |
長崎奉行 牧志摩守 墓 | 龍宿舎 |
---|---|
嘉永3年(1850年)に長崎奉行に任ぜられ、ジョン万次郎の取調べやオランダ商館長ドンケル・クルチュウスとの交渉などを行った。 |
宇治 田積 氏の墓 | 宇治 達郎 氏の墓 |
---|---|
宇治病院の初代院長で初代大宮町の町長である宇治田積氏のお墓。(さいたま市栄誉市民) | 宇治病院の二代目院長で世界で最初に実用的胃カメラを考案した宇治達郎氏のお墓。(大宮市民栄誉賞受賞) |
大成城跡(空堀跡) | 無縁塔 |
---|---|
開基金子駿河守大成の城の跡。 | 無縁仏を合祀(ごうし)したもの。 |
開山堂と仁王像 | 釈迦涅槃画像 |
---|---|
岡田啓介首相の記念植樹の槇 | 徳富蘇峰 手植えの松 |
---|---|
第31代内閣総理大臣岡田啓介氏の記念植樹。 | 明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家、徳富蘇峰、夫妻にによる手植えの松。 |
小栗上野介招魂碑 | 錨 |
---|---|
昭和9年に建設した小栗上野介忠順の招魂碑。同年11月25日に海軍大臣をはじめ海軍の巨星を招いて除幕式を行った。題字は公爵徳川家建。 | 小栗上野介忠順の招魂に下附された錨(いかり)。第一次世界大戦で地中海派遣艦隊の一艦としてヨーロッパに遠征した二等駆逐艦「榊(さかき)」のもの。 |
浮標水雷 | 青銅大砲 |
---|---|
昭和10年に海軍省から小栗上野介忠順の海軍功績の記念として下附された。錨と同様に二等駆逐艦「榊」が使用していたもの。 | 小栗上野介忠順の功績を讃えて須賀海軍工廠※から寄贈された。 ※工廠(こうしょう):軍隊直属の軍需工場 |
小栗上野介忠順公と大猷和尚との訣別の図 | 雲版 |
---|---|
力武研之輔作。 | 普門院四十三世 徳山道雄和尚による雲版(客殿)。 |
入口に建つ碑 | 見守り地蔵 |
---|---|