【其の三】
鎧兜を着た
ゆうれい
普門院の四十二代目の道山和尚さんのまだ若いときのことです。
昔は道路が狭く曲がりくねっていたり、川を渡る橋も少なく、大水が出ると橋が流されて、人々は大変不便な暮らしをしていました。
そのころ、耕地整理といって村の長老がお寺の本堂に集って新しい道路や橋をつくる相談をしました。この計画に賛成の人ばかりではありません。反対の人もいたり、いろいろな意見もありましたが実施することに決まりました。和尚さんもいっしょに考えていました。
そして、古い地図の上に新しい計画の地図が、碁盤の目(「五番の目」と記してありましたが、「碁盤の目」が正しいかと?)のように書き加えられていきました。やがて工事も次第にすすみ田畑や、山林の中にも、新しい道路がきりひらかれて開墾されていきました。
そしてある農家の庭にも道が通ることになりました。とある夜のこと、その家のおばあさんが外のかわやへ用足(ようた)しに行こうと庭でました。月の出ない暗い夜でしたが、自分の家の庭先きですから、なれていました。
かわやの近くにいくと、だれか人の気配がするのです。よくみると昔の武士のような姿で兜(かぶと)に鎧を着て、立っているではありませんか。でもおばあさんは、気のせいかも知れないと、かわやで用をすませて、外をみると、もうだあれも立っていませんでした。おばあさんははやり、気のせいだと思いました。
ところが次の晩も、又次の晩も同じころに同じ鎧を着たさむらいが立っているのです。よくよく見ると、何か助けを求めているようでとても淋しい顔をしているのでした。はじめは夢かと、うたぐっていたおばあさんも、これは夢ではないと思うと、こわくなってしまい、身の毛も弥立(よだ)って、とうとう床についてしまいました。
おじいさんが普門院の和尚さんのところにきて、その話をしました。和尚さんは、さっそく、おじいさんとその家に出かけました。そしてお佛だんに向かってお経を唱えました。
そのとき、庭先に道路の工事がすゝんでいましたが、人夫が大声でさけびました。スコップの前に何か当たったらしいのです。みんなが、わいわいよってきました。
おばあさんも、おきて見に行ってびっくりしたのです。毎晩助けを求めて現れた、あの侍のゆうれいの兜と鎧が土の中から掘り出されたのでした。
むかし、このあたりで、戦が行われたのでしょう。傷ついた侍が、ここに埋められていたのでした。和尚さんは、みんなと手厚く葬り、読経回向(どきょうえいこう)をして慰めました。その晩から鎧の侍は現れなくなったということです。
そののち欠かさぬ供養のおかげでその家は大変栄えたということです。