【其の二】
画像からぬけでた
いたずら禅師
そのむかし、与野の町(埼玉県与野市)(に仁平さんという経師屋(きょうじや:ふすま・びょうぶなどを表具する人)が住んでいました。
仁平さんは、与野にほど近い大成村(埼玉県大宮市)の普門院(応永三十三年月江禅師建立の曹洞宗の寺)という大きなお寺の熱心な信徒で、朝夕のお勤めはもちろんのこと月に三度のお寺まいりも決して欠かすようなことがありませんでした。
ある日のこと、いつものように仕事場に入り、いっしょうけんめいに働いていると、ふいにだれかうしろから目をふさぎました。
また、近所のいたずら小僧の仕業かな! と思いこんだ仁平さんは、茶目っ気を出して糊のついている刷毛ですばやくうしろをはらいました。すると、確かに手ごたえがありました。
しめた! と思い、うしろをふり向いてみると、そこにはだれの姿もみあたりませんでした。これは不思議なこともあるものだなあと思い、それから家の人にだれか遊びに来ていなかったかとたずねてみましたが、それらしい返事は得られなませんでした。
仁平さんは、いよいよキツネにでもつままれたような気持ちになり、隣近所の人たちにもそのことを打ち明けてみましたが、いっこうに手がかりはつかめませんでした。
それから、普門院の開山月江禅師(山城国の生まれ、『本朝高僧伝』にも登場する名僧、一四六三年没)の画像の横顔にベッタリと経師屋の刷毛ではいたように、糊がついているといううわさが広がってきました。
それを聞いた仁平さんは、まさかと疑いつつも、さっそく普門院に駆けつけ、住職さんにお話していっしょに本堂へ行って見て、ビックリ仰天しました。
うわさのとおり、たしかに月江禅師の画像のうえに経師糊がベッタリとついているではありませんか。しかも、糊がすっかり乾きあがっているのです。
仁平さんは、思わず目を閉じて合掌し、経文をとなえてから、おもむろに禅師さまのお顔を拝見しますと、禅師さまがニッコリとわらっているではありませんか。
このお顔は、いかにもいたずらっぽいお顔のようにも見えました。
それ以来、与野の経師屋仁平さんはなおいっそう信仰を厚くし、家業に励みましたので、商売はますます繁盛し後世まで栄えたということです。
(『大宮市史』第五巻所収)